



海洋に開かれた久慈市は、「マリノドーンプラン~海洋の夜明け構想」を掲げ、久慈湾の総合開発を基軸とした市勢発展を期しています。
このプランの核となる国家地下石油備蓄基地は既に完成し、現在は、久慈港湾口防波堤建設の大プロジェクトが国の直轄事業として進められています。三陸沿岸の拠点都市を目指す本市にとって、港湾機能の充実と県内陸部や県外とのアクセスルートの整備促進が重要であり、これら都市基盤の整備や福祉の充実に積極的に取り組んでおり、着実に進展が図られています。
近年、東北自動車道、東北新幹線等の基幹的交通ネットワークの形成により、岩手県北地域の発展は一段と加速されています。
平成14年12月には八戸市まで東北新幹線が延伸され、北東北横断道久慈ルートの整備と相まって、久慈市と首都圏までは4時間、仙台市までは2時間半のアクセスが可能になっています。また、久慈市から東北自動車道九戸ICまでは40分、東北新幹線二戸駅までは1時間と、高速交通網へのアクセスも格段に向上し ています。
三陸沿岸においても国道45号、三陸鉄道に加え、さらなる高規格幹線道路網の整備が実現することにより、広範囲な地域間流動が盛んになるものと期待されます。高速交通網へ至便に位置し、広大な背後地を持つ物流拠点としての重要港湾 『久慈港』 の存在価値がますます高まっています。

久慈港は県北部第一の港湾であり、八戸・宮古両港の中間に位置しています。付近一帯は良好な漁場であり、古くから漁業の中心地として繁栄し、久慈港北端の牛島付近は漁船の停泊避難港として利用されてきました。
このようなことから大正11年に指定港湾となり、昭和7年から昭和24年にかけて時局匡救事業、凶作対策事業として現在の玉の脇地区の一部が県営工事として建設されました。
一方、久慈沖は船舶の遭難が非常に多いことから、昭和26年に全国避難港19港の一つとして指定され、その後、久慈港を県北地域開発の拠点とするための基盤整備として昭和31年から堀込港湾の建設に着手し、昭和44年には-6.0m(延長210m)、-4.5m(延長780m)岸壁が完成し、背後からの鉱産品及び林産品等の移出、さらには漁業基地としてその利用が活発化してきています。
昭和50年4月、重要港湾に指定され、これを受けて久慈港背後圏における工業関発等の諸計画を踏まえ、港湾機能の拡充を図るため、昭和59年には新たに諏訪下地区に-10m岸壁1バース、-7.5m岸壁1バース、さらに昭和63年には-7.5m岸壁の供用が開始されました。
さらに、久慈港は国家地下石油備蓄基地立地決定を契機として、県北地域開発の中枢機能を備えた新たな港湾整備が望まれることから、昭和60年11月の港湾審議会の議を経て、湾口防波堤及び半崎地区の工業開発を中心として港湾計画が改訂され、現在も整備が進められています。

| 大正11年 | 指定港湾に編入 |
| 昭和26年 | 全国避難港に指定 |
| 昭和28年 3月 | 港湾区域告示 |
| 昭和31年 | 諏訪下地区堀込港湾建設着工 |
| 昭和39年 3月 | 臨港地区の指定 |
| 昭和46年 8月 | 港湾区域の変更 |
| 昭和47年 | 諏訪下地区外港防波堤着工 |
| 昭和48年 2月 | 臨港地区の変更 |
| 昭和50年 4月 | 重要港湾に指定 |
| 昭和52年 3月 | 港湾計画(新規)策定 |
| 昭和59年 7月 | 諏訪下地区(-10m)岸壁完成 |
| 昭和60年11月 | 港湾計画改訂 |
| 平成 2年10月 | 湾口防波堤着工 |
| 平成 8年 3月 | 半崎地区(-5.0m)岸壁完成 |
| 平成10年 3月 | 湾口防波堤北堤ケーソン第1号函据付 |
| 平成16年 7月 | 湾口防波堤南堤ケーソン第1号函据付 |
| 平成16年 3月 | 久慈港防災監視カメラ設置 |
| 平成17年 7月 | 湾口防波堤南堤ケーソン第 3号函据付 |
| 平成17年 8月 | 湾口防波堤北堤ケーソン第13号函据付 |

| 区分 | 久慈港(重要港湾) | ||
| 現有施設 | 15,000D/W | 1バース | 公共 |
| 5,000D/W | 1バース | 公共 | |
| 2,000D/W | 1バース | 公共 | |
| 1,000D/W | 1バース | 公共 | |
| 700D/W | 1バース | 公共 | |
| 100,000D/W | 1バース | 専用 | |
| 野積場 | 約30ha | 公共 | |
| 計画施設 | 50,000D/W | 1バース | 専用 |
| 15,000D/W | 1バース | 公共 | |
| 5,000D/W | 4バース | 公共 | |